《5月28日練習日誌 》

「くるみ割り人形 組曲」8曲と「ウエストサイド」「グラナタ」の 計10曲を練習しました。

 

①小序曲

16分音符のスラーの部分を正確に。

 

②行進曲

装飾音は ごまかさないで 最後の音迄 しっかり出す。

 

③金平糖

タンギングは歯切れ良く。

最後の4小節は ずれないように。

 

④ロシア

注意事項 忘れました

 

⑤アラビア

タンギングとスラーの違いをはっきりと。

 

⑥中国

26小節から終り迄  縦の音を揃える。

 

⑦葦笛

リズムをしっかり頭に入れること。

 

⑧花のワルツ

172小節~203小節迄   小節始めの8分休符に注意して ずれないように。

 

・ウエストサイド

繰り返し部分が色々とあるので 後日一連の楽譜を作成して頂けるそうで感謝します。

 

・グラナダ

曲の中で 早さが目まぐるしく変わります。しっかりと指揮を見ましよう。

 

(次ページに続く) 

《アントニオ・サリエリとモーツァルト》

1984製作の映画「アマデウス」を当時 見ました。詳しいストーリーは忘れてしまいましたが、死期せまるサリエリが病床でモーツァルトの死の理由を告白したような......

サリエリのいかにも悪人然とした俳優の顔とモーツァルトのお上品とは言えないキャラクターと笑い声だけが印象に残っています。

音楽学者 水谷彰良氏によると、「モーツァルト毒殺疑惑」はロシアの作家プーシキンが外交官から聞いた噂話を下に書いた戯曲で  当時それは オペラ化もされ 大いに話題になりました。

しかし 「真実は全く 違っていた」という事です。

 

サリエリは1750年 イタリアの商人の息子として誕生し、10才で音楽に出会い、14才にして孤児になりベネチアの侯爵に引き取られる。16才宮廷音楽家ガスマンと出会いウィーンへ。20才  オペラ作曲家としてデビュー。37才 ウィーン宮廷楽長に就任 のち36年間  務める。    

実際のサリエリは音楽家としても 人間的にも立派な人だったらしく、若き音楽家の育成にも熱心で 弟子には

ベートーベン、シューベルト(少年)、リストなど  錚々たるメンバー。特にシューベルト少年とは レッスン後に街でアイスクリームを一緒に舐めるのが楽しみで彼が大人に なってからも交友は続いていたといいます。

また モーツァルトの死後も遺族に便宜をはかったり、彼の息子にも作曲を教えていたそうで......

 

どこで  どう間違ったのか?   

 

ごめんなさい。サリエリさんって「とっても いい人で愛すべき おじいちゃん」だったんですねー。 

 

ということで 昔も今も 「フェイク ニュース」には  御用心  御用心。

 

 

kana