「くるみ割り人形 組曲」8曲と「ウエストサイド」「グラナタ」の 計10曲を練習しました。
①小序曲
16分音符のスラーの部分を正確に。
②行進曲
装飾音は ごまかさないで 最後の音迄 しっかり出す。
③金平糖
タンギングは歯切れ良く。
最後の4小節は ずれないように。
④ロシア
注意事項 忘れました
⑤アラビア
タンギングとスラーの違いをはっきりと。
⑥中国
26小節から終り迄 縦の音を揃える。
⑦葦笛
リズムをしっかり頭に入れること。
⑧花のワルツ
172小節~203小節迄 小節始めの8分休符に注意して ずれないように。
・ウエストサイド
繰り返し部分が色々とあるので 後日一連の楽譜を作成して頂けるそうで感謝します。
・グラナダ
曲の中で 早さが目まぐるしく変わります。しっかりと指揮を見ましよう。
(次ページに続く)
《アントニオ・サリエリとモーツァルト》
1984製作の映画「アマデウス」を当時 見ました。詳しいストーリーは忘れてしまいましたが、死期せまるサリエリが病床でモーツァルトの死の理由を告白したような......
サリエリのいかにも悪人然とした俳優の顔とモーツァルトのお上品とは言えないキャラクターと笑い声だけが印象に残っています。
音楽学者 水谷彰良氏によると、「モーツァルト毒殺疑惑」はロシアの作家プーシキンが外交官から聞いた噂話を下に書いた戯曲で 当時それは オペラ化もされ 大いに話題になりました。
しかし 「真実は全く 違っていた」という事です。
サリエリは1750年 イタリアの商人の息子として誕生し、10才で音楽に出会い、14才にして孤児になりベネチアの侯爵に引き取られる。16才宮廷音楽家ガスマンと出会いウィーンへ。20才 オペラ作曲家としてデビュー。37才 ウィーン宮廷楽長に就任 のち36年間 務める。
実際のサリエリは音楽家としても 人間的にも立派な人だったらしく、若き音楽家の育成にも熱心で 弟子には
ベートーベン、シューベルト(少年)、リストなど 錚々たるメンバー。特にシューベルト少年とは レッスン後に街でアイスクリームを一緒に舐めるのが楽しみで彼が大人に なってからも交友は続いていたといいます。
また モーツァルトの死後も遺族に便宜をはかったり、彼の息子にも作曲を教えていたそうで......
どこで どう間違ったのか?
ごめんなさい。サリエリさんって「とっても いい人で愛すべき おじいちゃん」だったんですねー。
ということで 昔も今も 「フェイク ニュース」には 御用心 御用心。
kana
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