青空のロゴ

青葉はやがて紅葉し...

でも、われらが「青空」では朱のものが青くなって...

 

ことの発端は第2回定演に協賛社を募ったことでした。いただいた協賛金に領収書をお出しすることになり、それには相応の印が要るということで、会計役の Fl-T さんは、お嫁さんがデザイン・作成の消しゴムハンコをご用意くださり、それを「朱」に押印して。それを Asax-U さんが得意のパソコンで大きさを整え「青」いロゴに進化させてくださいました。

 

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思えばこの一年

な~んにも知らないブログ子に、Fl.Uさんは参考書を、Mdn.Hさんはお知恵をお貸しくださるなど、皆様のご協力を得て始めましたホームページも一年余の時間を過ぎました。

 

未だこれを取り扱う知識に多大なる不足あり、制御不能となることも多々あり。で、今までを振り返りつつホームページ各所を見返しておりましたところ古いブログ記事が見られないことが分かり、新たに「ブログーその昔」を付け加えてそちらで見られるようにしました。画像がでかいのが難点かもしれませんが。

 

ブログをお読みいただく皆様には、ご不満やご提案がございましたらお知らせください。

対応する(「できる」とは言えませんが)よう努めますので。

G

SE団員の為の楽器知識-その9:マンドリン

全シ連の「響」に連載中の話題をお知らせしてきましたが、「青空」の楽器関連ではどうも一段落したようで、あるいはこのブログでの紹介が最後になるかも知れない今回の記事の執筆者は、濱田さんです。

 

 

[9] マンドリン (Mn)

 

マンドリンは日本人にもなじみの深い楽器です。その美しくもはかなげな独特の音色は古くから多くの人を惹きつけてきました。

 

比較的短期間で習得できるので愛好者も多い楽器ですが、本格的に取り組んでみると奥の深い楽器でもあります。

 

日本においては、初めて紹介されてから100年以上ものあいだ、マンドリンの音色は多くの人々に愛されてきました。かつて詩人・萩原朔太郎(マンドリン奏者)をして「日本趣味」と言わしめたその音色は、後に古賀政男により昭和初期歌謡曲に取り入れられ、着実に日本の風土に根付きました。

 

現在、学生や社会人のマンドリン合奏グループは、東京都内だけでも軽く100以上を数え、日本全国いたるところで演奏されています。マンドリンの生まれ故郷イタリアや、マンドリンの盛んなドイツと比較しても、圧倒的な演奏人口を誇る日本は、世界的な「マンドリン大国」です。

 

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訪問演奏

6月17日

梅雨明けと、思える程の晴天の中

SOMPOケアラヴィーレ成田へと、訪問演奏に伺いました。

 

6月のお誕生会のイベントで

お誕生日を迎えた方々は御祝いのプレゼントを受けとり、記念撮影の後

団長のピアノ伴奏で

   『Happy birthday to you』

を会場の皆さんと歌い

青空の演奏開始です。

 

最初の曲は、今日が映画青い山脈の主役『原 節子さん』お誕生日とのことで、『青い山脈』からお聞きいただきました。

『ふるさと』を青空の歌姫Sさんのリードで皆さんと歌い、『幸せなら手をたたこう』は動作も交えて、ご一緒に童心にかえりました。

古賀メロディでは『影をしたいて』をお聞きいただき、

『みかんの花さく丘』『浜辺の歌』では会場には、口ずさんで下さった方々もいらっしゃいました。

最後に『川の流れのように』をお届けして終演です。

 

今日、N先生は、ソプラノサックスで演奏にも参加して頂きました。ブラボー!

Violet

 

SE団員の為の楽器知識-その8:サキソフォーン

19世紀中頃ヨーロッパの工業の中心地ベルギーで、機械工のアドルフ・サックスにより制作された。管楽器の最大顧客であった軍楽隊へ販路を開拓するのが主の目的であったと想像されます。サックス氏は金管楽器と木管楽器の音色をより良くブレンドする楽器をめざし、両方の長所を備えた円錐管を主体にした管楽器の試作に成功した。サックス氏はパリの万国博覧会に出品、世の注目をあびる事となりました。やがてフランスの軍楽隊に採用される事となったが、ダンス楽団やオーケストラの定席を持つ事はありませんでしたが、多彩な音色を求めていた印象派の音楽家(ドビッシー、ラベル、ビゼー等)により紹介されるようになって行きました。

 

 

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