60年後の再会

 小学校頭の良い子たちが集まる合奏部で、音符が読めない私は、カスタネットやタンバリンを与えられ、リズム感の無さを知った。中学校では、苦手な理科と音楽は丸暗記で入試に向かった。

 教員になり、「猛きものも、鎮まる」とされる笛の音、フルートをヤマハで教わる。ならばと、ブラスの顧問にされ、野球応援に駆り出された。同僚職員に篠笛の手ほどきを受けたら、佐原囃子研究会の顧問にもされた。宗次郎ブームに乗って始めたオカリナは10年グループ演奏したが、「風音」よりは「弦音」に惹かれ、退職後、Geigeに手を出した。

 年一度の発表会前は、右指を痛めたり、左手に注射を打ってもらったり。楽器演奏の悩みを相談できる仲間を求め、シニア・アンサンブルのドアをたたいた。「わたしもそうよ!」とか、「指、引っ張ってみたら?」。先達女子の力強いアドバイスに、音楽に向かう脆弱な姿勢の私が見出されました。

 ボケーとしてたら、Dirigent N先生から「バイオリン、気を付けて!」突然注意が飛んできた。「あ!聞こえてたんだ!」と焦る今日の練習。あれから、60年経て、また合奏の世界に迷い込んでいます。

 

Yagi